20101220

本の記録 / 峠(上)



河合継之助という人物に興味があり、昨夏、長岡にいってきた。
幕末。
東京、京都より程遠いこの地で彼は「志」「信念」をもちつづけて改革を断行する。
男子の本懐。


峠(上)  司馬遼太郎  新潮文庫


p9 たとえにわか雨がふってきても、軒端へにげこむのは町人で、藩士は逃げず、雪駄を懐にほうりこみ、道の中央をためらいもなく歩いていく。

p16 人間はその現実から一歩離れてこそ物が考えられる。距離が必要である、刺激も必要である。愚人にも賢人にも会わねばならぬ。じっと端座していてものが考えられるなどあれはうそだ。

p56 武士にとっての最高のモラルはいさぎよさということであり、この道徳美は自分が武士である限り守らねばならぬ。

p57 大は天下のことから、小は嫁姑のことにいたるまですべてこの矛盾にみちている。その矛盾に、即決対処できる人間になるのが、おれの学問の道だ。

p71 角力は、立合う一刹那の気合にすべてがある。

p76 志は塩のように溶けやすい。男子の生涯の苦渋というものはその志の高さを以下にまもりぬくかというところにあり、それを守り抜く工夫は格別なものではなく、日常茶飯の自己規律にある、という。箸のあげおろしにも自分の仕方がなければならぬ。物の言いかた、人とのつきあいかた、息の吸い方、息の吐き方、酒ののみ方、あそび方、ふざけ方、すべてがその志を守るがための工夫によってつらぬかれておらねばならぬ。

p111 (からす)は、朝は昇ってゆく朝日にむかってまっしぐらに飛び、夕は、沈んでゆく夕日に向かって目をそらさずに飛ぶ。鳥の種類は幾千万あるか知れないが、太陽にむかって飛びうる鳥は、鴉のほかない。       
「おれはそう心掛けている。」継之助の言う意味は、生涯の大目的にむかって眼をそらさずに翔びつづけようということなのであろう。

p236 自分と自分の生命はおなじではない、生命は自分の道具にしかすぎぬ、(中略)
「道具なればこそ、鋤はよく土を耕し、鉋はよく板をけずる。おれもおれの生命を道具にこの乱世を耕し、削ってみたい。」

p238 旅にあってこそ、心が(さわ)ぎたて、弾みにみちあふれるようにおもえる。その状態に心をおかねば、この胸中の問題は成長すまい。

p239 いっておくが、青くさくない人間はだめだ。

p309 「相変わらず、気に入ったくだりを、穴のあくほどに読むのか」
「文字が立ってくるまで読みます」 継之助の場合、書物に知識をもとめるのではなく、判断力を砥ぎ、行動のエネルギーをそこに求めようとしている。

p408 人の一生はみじかいのだ。おのれの好まざることを我慢して下手に地を這いずり回るよりも、おのれの好むところを磨き、のばす、そのことのほうがはるかに大事だ

p419 勢いというものは山から落ちる水のごとく、何のものにも阻まれぬ。



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